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アートは野となれヤマとなれ

三芳の伝統芸能、竹間沢車人形

   

竹間沢車人形公演が催されました。

車人形は、ろくろ車と呼ばれる車輪付きの台車に腰掛けて人形を1人で操る人形芝居です。

江戸時代の末期から明治にかけての頃、当時の竹間沢村の神楽師であった前田左近が、自ら車人形の頭や道具を作り、それまでの小さな人形を使った人形芝居から車人形に切り替え、吉田三芳の芸名で、「吉田三芳一座」として、盛んに興行をおこなっていました。

現在では三芳町、東京都八王子市、東京都奥多摩町のみに伝えられています。

 

 

舞台の成功を祈願して、まずは寿式三番叟が演じられました。

続いて、信州の民話による「日滝の笛」です。

以下、簡単に内容をまとめてみました。

昔、信州の須坂の城下に日滝という村がありました。働き者だが貧しい村の人々は春と秋の祭りを楽しみにしていましたが、凶作が続いたことにより殿様より贅沢禁止令が出され、祭りも禁止されてしまいました。

すっかり活気がなくなってしまった日滝の村でしたが、ある日、笛の名手であるおたき婆さんの家に雨でずぶ濡れになった2人の侍が雨宿りにやって来ます。やさしいおたき婆さんは2人をもてなし、温かいお茶を準備しました。侍の1人は俵の上に腰掛け休息していましたが、お茶を持ってきたおたき婆さんはそれを見て激怒し、侍を追い返してしまいます。

それから2,3日すると、おたき婆さんは城から呼び出されてしまいます。殿様と面会し顔を上げると、なんと追い返した侍でした。なぜあのとき怒ったのか問うと、殿様が腰掛けたのは米俵で、農民が汗水垂らして作った大切な米だったためついカッとなってしまったとのこと。殿様は自分の行為を詫び、何か望みを叶えようとおたき婆さんに提案したところ、おたき婆さんは「祭りを復活させてほしい」とお願いし、祭りは再び行われることになりました。

 

 

三芳町には、車人形のほかに4つの地域にお囃子が伝えられ、今も活動しています。

祭りに囃子は欠かせないもので、9月のみよしまつりの他、各地域でお祭りが行われています。

祭りを大切にする三芳町にも通じるお話しですね。

それもあって、オープニングは上富囃子保存会によるお囃子から始まる演出でした。

 

やがて、主人公でもあるおたき婆さんが出てきます。

両隣にいる子どもの車人形を操るのは、一般応募で参加してくれた中学生たちです。

 

米俵にずぶ濡れのまま座った侍(実は殿様)に激怒するおたき婆さん

城から無事に帰ってきたおたき婆さんに喜ぶ子どもたち

 

笛を奏でる落合貞夫さん(右)と、話を語る講談師の宝井梅福さん(左)。

復活した祭りが最高潮を迎えたとき、明覚山に飛んでいく天狗の姿をおたき婆さんは見たのでした。

 

祭りに踊りくるう村人たち(車人形)に、やがてお囃子の笛と太鼓の音が聞こえてきて、現代の三芳のお囃子と車人形が一緒になって踊り、圧巻のフィナーレを迎えました。

お祭りっていつの時代も最高ですね!

 

車人形のしくみをわかりやすく教える車人形教室も開催。手の動かし方やまばたきの仕方などに感嘆の声が挙がりました。

後半は盲人とその妻の夫婦愛を描いた「壺坂霊験記」を演じました。

 

最後の舞台挨拶で出演者と裏方が並び、家元である前田益夫さんの「これからも車人形をよろしくお願いします」の呼びかけで幕が締められました。

 

三芳町が誇る車人形も、保存会メンバーの高齢化により後継問題が浮上しています。

この素晴らしい伝統を後世に残すべく、少しでも興味を持たれた方は保存会の活動に参加してみませんか?

人形遣いだけでなく、道具運びから衣装作りまでその活動は多岐にわたります。

興味ある方は文化財保護課(歴史民俗資料館)または生涯学習課までお問い合わせください!

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